50年目の…

 もうすぐお盆ですね。「戦後50年」という言葉がテレビや新聞で毎日のように取り上げられています。今から50年前、戦争の痛ましい犠牲者として、身内や肉親を亡くされた方々には半世紀にもおよぶ歳月も、つかのまの出来事だったのかも知れません。
 主人のおばあちゃんも、戦争で弟を失っています。青春の真っただ中に散っていった一人の若者。おばあちゃんは、つい昨日のことのように、時折私たちに語ってくれます。それがどんなに、辛く、哀しいことだったかを。
 彼が、戦場に旅立っていく列車のなかで読んだ句があります。


  「一切を越えてゆく身のたのしさや、ひさに晴れたるはつ秋の空」

  「刈りやらず征く身なりけりたつ穂田の、垂れ穂いとしみ抱きあげたる」

 越えていったすべてのなかには、わずらわしい悩みや悲しみはもちろん、若者としての夢や希望もあったのでしょうし、収穫を目前にして旅立つ無念さや、丹精込めた作物への思いが50年の時を越え、ひしひしと伝わって来るようです。
 また先日、テレビでは「戦場の中の子供達」という特集番組があり、いまなお、世界中の一部の地域や国では、戦闘や、内紛が続いていて、子供達が犠牲になったり、希望を捨てずにたくましく生きようとしている姿が紹介されていました。日本の子供達にも平和の大切さ、戦争の恐ろしさを伝えようという企画の番組を、親子で一緒に見る事ができ、遅ればせながら、我が家でも、戦後50年に少しだけふれる機会をもつことができました。
 でも、私も主人も、「戦争を知らない世代」。人から伝え聞いたり、本で読んだりした事を子供達に語るより、日々の暮らしの中から「戦争と平和」を一緒に考え、ともに学んでいこうと思っています。


苫小牧民報 1995年(平成7年)8月12日(土曜日)掲載


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